- 2007年7月23日 14:31
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PJ跡見さんの記事政策と品行と、どっちが大事なのか。
「マスコミは政治家の不正ばかりを追及しているが、もっと大事なのは政策を実行する能力があるのかどうか、ではないのか」との論旨です。わたしは跡見さんの意見に総論賛成ですが、各論については異論があります。
政治とカネの問題。昨今、政治資金をどう集めてどう使っているのかは、マスコミも対立する政党も市民団体も、注視しています。そんな情勢だから、ちゃんと政治をやりたいのなら、政治資金の問題ぐらいはクリアしないといけないのではないでしょうか。それも、一年間に数百万程度の話です。マスコミに騒がれないような身づくろいをしてなければいけないと思います。たった数百万程度のお金もちゃんとできないのに、一般会計で80兆、特別会計も含めれば300兆にも及ぶ日本の財政を任せるわけにはいかない、という言い方もできます。
跡見さんは「たとえ帳簿に嘘(うそ)を書いていたとしても、人件費やお歳暮などに使ったのなら、倫理的な問題はそれほどないはずだ。帳簿が間違っているだけで、カネの使い方は間違っていないからだ。」と書かれていますが、わたしはそうは思いません。人件費がかかるのなら、人件費に計上すべきです。お歳暮や慶弔費に政治資金を使うのは間違っています。公職選挙法で禁止されている用途に政治資金を流用したのなら、そもそも議員としての資格がありません。帳簿をきちんとつける、流用はしない、というのは、法に定められた政治家としての最低限の道徳です。そのことばかりに目が行ってしまっているマスコミの姿勢は批判されてしかるべきだと思いますが、だからと言って見逃してい問題だとは思いません。「政治とカネ」がマスコミにこれほど取り上げられる時代なのですから、せめて金の話ぐらいは、ちゃんとして欲しいと思います。
「徳」という言葉があります。日本に限らず、アジア的政治は、リーダーの徳によってなされてきました。中国も、朝鮮もそうでした。現代のタイやシンガポールもそうです。市民は、徳を備えたリーダーを信頼し、その政策を(時には盲信的に)支持する伝統的風土があります。「わたくしの不徳の致すところで」などと簡単に口にする政治家がいますが、この伝統的風土の中では、徳がないということは、即ち、民衆の信頼を得て政治家になる資質がないことで、致命的欠陥です。軽々しく「不徳」などと言ってはいけないと思います。価値観が多様化して、「徳」の意味するところは曖昧になりつつありますが、マスコミが閣僚のスキャンダルを必死に追求するのは、その閣僚に「徳」があるかどうかを明らかにするのが目的なのでしょう。マスコミが自覚しているかどうかは不明ですが、極めて日本的だと思います。
このような風土の中では、政治家のスキャンダルはともかく政策はどうなのか、という報道姿勢にはなりにくいでしょう。まして、官僚の言うなりに政策が立案されている状況では、誰が政権を取っても、政策に優劣はつけがたい。そう考えてくると、政治なんて、ごく少数の清廉潔白な人に任せればいいと思えてくるのです。そのことは記事に書きました。報道も、スキャンダルと無縁な人が政治をして初めて、政策中心になるのでしょう。情けない話ですが。
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