- 2008年6月22日 15:39
- PJ opinion
【PJ 2008年06月22日】- 18日の朝日新聞夕刊コラム「素粒子」が、死刑を執行した鳩山邦夫・法務大臣を「死に神」と表現したことについて、大臣が強く抗議している。
日本が死刑制度を維持しているのは、死刑存続を望む国民が多数を占めているからにほかならない。選挙で選ばれた立法府が死刑を定めた法を制定し、国民から司法権を委託されている裁判所が死刑判決を下し、行政府が死刑を執行している。死刑を定めた責任も、死刑判決を下した責任も、死刑を執行した責任も、すべての国民が等しく負っている。死刑制度への賛成・反対を問わず、尊い人間の命を奪うことについては国民一人一人が極めて重い責任を負っている。
「素粒子」の執筆者は、法律に定められた職務として死刑執行命令書に署名した法務大臣を「死に神」と揶揄(やゆ)して、自らの責任が軽減されると思っているのか。あるいは、自らの責任を感じていないのか。不見識も甚だしい。
来年にも始まる裁判員制度では、死刑罰が適用される可能性のある重大犯罪も国民が直接裁くことになる。「素粒子」の論理は、死刑判決を下した裁判員も「死に神」と揶揄することになるだろう。あってはならない暴論だ。今まで職業裁判官だけが担ってきた司法の重責の一部を裁判員が担い、死刑に相当する犯罪を起こしたと判断すれば、死刑判決が下される。それは「死に神」のなせる業ではない。社会を構成する人間が、悩み、苦しみながら、社会正義のために下す罰だ。
「素粒子」執筆者が裁判員に選ばれたとき、「死に神になりたくない」と、何も考えずに死刑を回避するつもりだろうか。それは、人を裁く重責を放棄することだ。「死に神」に見え隠れする理念先行・思考停止の姿勢は、「アサヒ」の真骨頂かもしれないが。【了】
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